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佐々木朗希の小学校から現在までの生い立ちは?父とのエピソードに泣けるとの声!

大船渡の佐々木朗希投手

大船渡高校の佐々木朗希投手163キロの右腕投手として有名ですが、そこに至るまでの生い立ちが壮絶だったとして、話題になっているようです。

小学生のときに東日本大震災の被害に遭われたということですが、その後どのように育ってきたのでしょうか?

今回は、佐々木朗希投手の小学校から現在までの生い立ちを探っていきたいと思います!

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佐々木朗希の生い立ち【小学校時代:前半】

佐々木朗希は陸前高田市立高田小学校に通っていた

大船渡の佐々木朗希投手

佐々木朗希さんは陸前高田市出身で当初は陸前高田市立高田小学校に通っていました。

佐々木朗希さんは高田スポーツ少年団に小学3年生のときに入団しています!

これが佐々木朗希さんの野球デビューになります!

3月11日、佐々木朗希の父親の突然の死

佐々木朗希の家族

佐々木朗希さんのご一家は、2011年3月11日の東日本大震災の被害に逢い、父・功太さん(享年37)を亡くしてしまいます。

3月16日に電話で「見つかりました」という一報。

朗希少年は「見つかった!?」と目を見開いていたようですが、当時9歳だった佐々木朗希さんにとっては、その現実を察するには難しい部分もあったでしょう。。

佐々木朗希の生い立ち【小学校時代:後半】

佐々木家の父親の死後、兄琉希が父親代わりに

佐々木琉希

父・功太さんの死後、長男の琉希さんが父親代わりとして、当時まだ小学4年生だった佐々木朗希さんの面倒を見ていたそうです!

生前、父功太さんはとても厳しかったとのこと。

そんな姿を見て育った琉希さんは、誰に言われるでもなく父親の役割を果たそうと、佐々木朗希さんに厳しく接していたようです。

「人に迷惑かけたりすると怒られた」と佐々木朗希投手も語っていました。

兄琉希が父親代わりに佐々木朗希に野球を教えていた

佐々木琉希

兄の琉希さんは野球も教えていたそうですが、あまりの厳しさに朗希少年が「もうやらない」と家に帰ることもあったそうです。笑

兄琉希さんの助言で、ボールの回転を改善するために、手首を強くするトレーニングもやっていたそうですよ!

兄琉希さんは、「自分が野球を通じて感じてきたことを、すべて伝えてきました」と語っていました。

ちなみに、兄琉希さんと同じチームで約1年弱の間、野球をしたこともあったそうです!

佐々木朗希は大船渡市立猪川小学校に転校

大船渡の佐々木朗希投手

その後、小学校4年生の頃に、佐々木朗希さんは大船渡市立猪川小学校に転校することになります。

転校後は、猪川野球クラブに所属しています!

「物静かだったが、前向きで一生懸命な子」だったと、当時の父母会会長は語ります。

震災直後なので、まともな練習場所もなく、ゴツゴツの河川敷犬のふんがある原っぱでボールを追いかけていたようです。

グラウンドを借りられる際には、歩いて40−50分の距離もいとわず、練習に行っていたようです。

佐々木朗希の生い立ち【中学時代】

佐々木朗希は中学3年生のときに最速141キロを計測

大船渡の佐々木朗希投手

中学では、佐々木朗希さんは大船渡市立第一中学校に通うことになります。

佐々木朗希さん軟式野球部に所属していましたが、中学3年生のときには、140キロを出すようになり、最速141キロを計測しています。

この頃から、頭角を現し始めたようで、これについて兄琉希さんは以下のように語っていました。

佐々木朗希の兄

「朗希は140キロを出すようになった中3からは、考え方が変わりました。自分でも勉強しながら野球に取り組むようになりました。

「『無失点だったけれど、逆球ばっかりだったから悔しい』とか『3点は取られたけれど良い感覚でコントロールできていたし良かった』とか言うんですよね。」

佐々木朗希がKB東北大会で準優勝!

佐々木朗希投手

中学3年生のときに、オール気仙に選出され、KB東北大会で準優勝しました!
(KB=Kボール、軟式野球と公式野球をつなぐためのボール)

佐々木朗希投手は当時、「中学の野球が心から楽しい。その仲間と野球がしたい」

と感じていたようです。

この思いが、佐々木投手のその後の進路を決定づけることとなります。

佐々木朗希が中学3年生で下した進学先の決断

大船渡の佐々木朗希

佐々木朗希さんには大阪桐蔭高校花巻東高など、強豪校からも声がかかっていたようですが、全て断って公立高校へ進学することを決意します。

その理由について、佐々木朗希投手は以下のように語っていました。

地元の仲間と私学を倒して甲子園に行きたいと思った。このメンバーで勝つことに意味があると思った」

公立高校でも頑張れば勝てるんだということを証明したい。勝てば岩手や東北を元気づけることができると思う。それが役目だと思う」

本当に仲間思いで、故郷思いな方なんでしょうね!

そこには、亡き父・功太さんへの思いも込められていたのではないでしょうか?

佐々木朗希の生い立ち【高校時代】

佐々木朗希が高校1年生のときに球速147キロを計測

大船渡の佐々木朗希投手

佐々木朗希投手は県立大船渡高校に進学しますが、早速驚異的な記録を残します。

高校1年生の夏盛岡北との2回戦1点差の8回2死、二・三塁の場面で、佐々木朗希さんは登板しました。

普通なら萎縮してしまいそうな場面ですが、そこで佐々木朗希投手は球速147キロを達成しました!

佐々木朗希が高校2年生のときに球速157キロを計測!

大船渡の佐々木朗希

勢いにのった佐々木朗希投手は高校2年生のときに、県大会初戦・盛岡三戦に先発した際、157キロを計測しました!

以下はそのときの動画です!

佐々木朗希が高校3年生のときに球速163キロを計測!

大船渡の佐々木朗希

さらに、公式戦ではありませんが、U18日本代表の合宿で、163キロを計測しました!

これは高校最速です!

以下はそのときの動画です!

これには、ネット上でも驚きの声が上がっていましたね!

佐々木朗希の生い立ちと亡き父への思い

一躍有名人となった佐々木朗希投手ですが、毎日欠かさずやっていることがあるとのこと。

それは、亡き父・功太さんへ学校に行く前に必ず

「行ってきます」

と声をかけているそうです。

これまでの佐々木朗希投手の生い立ちの中で、父・功太さんへの思いは1日も忘れたことはなかったでしょう。

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佐々木朗希の生い立ちに対するネット上の声

大船渡の佐々木朗希投手

最後に、佐々木朗希投手の生い立ちに対して、ネット上ではどんな声が挙がっているのか、見ていきましょう。

佐々木朗希の生い立ちに泣けるという声

大船渡の佐々木朗希投手

佐々木朗希の生い立ちを知って応援する声も!

大船渡の佐々木朗希投手

佐々木投手の生い立ちに心打たれたという方が非常に多かったですね。

これからの更なる活躍を沢山の方が祈っていることでしょう!

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まとめ

今回は、佐々木朗希投手の小学校から現在までの生い立ちを探っていきました。

佐々木朗希投手は、現在に至るまでに色々な苦難があったようでしたね。

輝かしい結果の陰には、佐々木投手の頑張りやご家族の支えがあったからこそなんでしょう。

佐々木朗希投手の今後のご活躍を心から願っています!

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